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さらだたまこって誰よ?

“さらだたまこ”はもの書きです。

大学在学中から、放送作家の仕事を始めて、
ペンネームが示す通り、食いしん坊でエピキュリアンなライフスタイルを全うしてます。
放送作家ですからテレビ、ラジオを中心に仕事をしていますが
ステージ(主にミュージカル)の脚本、作詞、エッセイや小説、実用書等の著書、WEB、CD、広告などなど、メディアを問わずに書いてきたマルチライター。
何でも興味のおもむくまま、今日までずっと書いています。
桜沢琢海、水月蘭西という別な筆名でも書いてます。
書くだけに留まらず、パーソナリティや司会のお仕事も!
最近は、スナックミルキーズというユニットで、歌って踊るLIVE活動も!
女優のお仕事も始めました。(脇を固めるかなり濃いキャラです)
いろんなテーマで講演も致します。
料理番組や料理本執筆で培ったスキルでレシピ開発や料理も作ります。
〝仕掛け人〟的立場で動き回るのも大好きです。
講師やコンテストの審査員として後進の育成・放送文化向上にも携わってきましたが、
2015年春に開講した作家養成スクール『市川森一・藤本義一記念 東京作家大学』の学長に就任。未来の売れっ子作家誕生を仕掛けることにも力を注ぎます。



【さらだたまこができるまで】
●蟹座、B型。(放送作家にはB型が多いです)
●父親の仕事の関係で幼少期は大阪・名古屋で過ごしました。(関西弁、名古屋弁のマルチリンガル?)
●小学校6年生以降は東京で育つ。なのでプロフ上では東京出身ということに。
●早稲田通り沿いで育ったのですが、高校は慶応義塾女子高、大学は慶応義塾大学経済学部卒。
   母校、慶應女子高の先輩であるコムデギャルソンの川久保玲さん、宇宙飛行士の向井千秋さんといった世界や宇宙に羽ばたいている方々にあやかってスケールの大きい人間になりたいと思いつつ、態度だけでかい人間になりました。(体型は小柄で、あのレディ・ガガと同じ155センチです)
 大学で経済学を専攻したのは、とても単純な理由からです。進学を控えた頃、学部の先輩である女優・檀ふみさんが「今勉強しなければ一生しない学問は何か、と考えて経済学を選んだ」と何かの雑誌に書かれていたのになるほどと共感したからです。確かに卒業後、一度も経済学の勉強していません。しかし、ある意味で、本当に「人生を迷わず生きる」ことに役立つ学問であったことには間違いありません。
●高校時代から、ロックバンドを組んでキーボードを担当。当時シンセサイザーを扱える希少な存在で、かけもちでいろんなバンドにひっぱりだこ。演奏だけに終わらずコンサーを企画・構成・演出することにも燃えていました。しかし、プロになるほどの腕前ではないので、音楽業界ではなく、放送業界を目指すことにしました。
●大学在学中、放送業界を目指し、まずはアルバイトでお金を貯め、「アナウンス学園」「シナリオセンター」「放送作家教室」に通いました。話し方の基本は紅白歌合戦初代司会者で元NHKアナ藤倉修一氏から直接指導を受け、脚本の基礎は脚本家水原明人氏、大倉徹也氏に学びました。放送局の就職試験は受けずに、最初からフリーランスでやろうと決意。(多分、私の性格からいって試験には受からず、受かってもお勤めは長く続かなかったと思います。なにせB型ですから!)

【デビューと命名】
●放送デビューは、NHK第一放送「午後のロータリー」。
大学3年のときオーディションに合格し、番組のリクエストコーナーに2年間に本名で出演。NHKの大ベテランアナウンサー、秋山士郎さん、前田宏さんのアシスタントを勤めました。
●脚本家デビューは、ニッポン放送「夜のドラマハウス」。
やはり大学3年のとき番組に台本を持ち込むものの、ボツばかり食らって、ようやく11本目にして採用。このときプロデューサーのドン・上野(上野修)氏より「さらだたまこ」と命名。以後約2年間番組の脚本執筆に携わりました。

【さらだたまこになってから】
●「夜ドラ」作家を皮切りに、大学に通いながらニッポン放送で新人作家見習いの時期を過ごします。タモリさんや鶴太郎さんのワイド番組の構成チームに入り、実に楽しい修業時代でした。やがて、当時司会などで活躍していた青島美幸さんの番組を担当したのがきっかけで、彼女に“お弟子入り”を願いでました。美幸さんのお弟子ということで、幸運にも青島家に出入りを許され、よくご飯を食べさせてもらいました。
そして、大学卒業後、青島幸男一門の筆頭・奥山侊伸氏(奥山先生は秋元康氏の師匠)の事務所DNPに所属。本格的放送作家生活が始まりました。
●奥山侊伸氏、青島美幸氏よりテレビ朝日「料理バンザイ!」の構成作家の仕事を引き継ぎ、ようやく構成作家として一本立ち。23歳のときのことです。

【料理とワイン】
●専門分野という決め方はしていませんが、現在得意分野として打ち出しているひとつに「料理とワインとフランス生活」があります。
●こどもの頃から料理好きの食いしん坊だったのですが、「料理バンザイ!」の構成を手がけたのが、知識を培うきっかけとなりました。
●さらに「レストランガイド」や「ワイン入門書」、また自らレシピを考案した「料理本」も数々出版し、それに伴い商品開発やメニュー提案などにも活動範囲を広げ、「レシピがすらすら書ける作家」として重宝されるようになりました。
●30代になって、料理好き、ワイン好きが昂じ、惚れたフランスに10年間ほど「通い婚」生活を続けました。ワインの名産地ブルゴーニュ地方の小さな田舎町に間借りし、そこを拠点に生活。大家のタバコ屋さんで、役に立たない「看板娘」をやりながら、タダで実にカジュアルなフランス語と家庭料理を習得。また農家の“おかあさん”のもとにホームステイし、フランス式おもてなし料理と家事をびっちり仕込まれました。

【パラサイトシングル】
●もうひとつの得意分野は「シングルライフ」のルポです。
●自らのライフスタイルを綴ったエッセイを何冊か出すうちに、自分と等身大にある独身女性たちのライフスタイルに注目。社会人となってもなお親元に暮らすシングルたちをルポした著書「パラサイトシングル」が流行語となりました。
●メディアではサンデージャングル(テレビ朝日)、スーパーJチャンネル(テレビ朝日)、スーパーモーニング(テレビ朝日)、たけしのTVタックル(テレビ朝日)、そんなに私が悪いのか(テレビ朝日)、怪傑熟女・心配御無用(TBS)、トークで北海道(北海道文化放送)、ニュース10(NHK)、女神たちのカフェ(NHK BS2)、ラジオ深夜便(NHK第一)、生き生きホットライン(NHK第一)、梶原茂・本気でDONDON(文化放送)、塚越孝土曜ニュース(LF)などに出演。(モーニングとタックルでは二度目のリクエストをいただきました)
●紙媒体では朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、ワシントンポスト、シティリビング、コスモポリタン、婦人公論、日経ウーマン、ステラ、ミスターパートナー、週刊金曜日、週刊読売、 AERA、MORE、スタイル、ダカーポなどで取り上げられました。
●さらだたまこ自身、仕事の忙しさを理由に、日常の雑事は、世話好きな母親に頼ってきたのが現状。言い替えれば、仕事に没頭できたのも、好きに生きて来られたのも、“お嫁さんのような母”の存在あってのこととひたすら感謝です。一歩外へ出れば、荒海で闘う生活も、家に帰れば母の娘に戻るギャップの中で、お気楽に生きてきました。
●結婚も魅力的な選択肢であったけど、いろいろ岐路もあれやこれやでシングルのまま現在に至っています。
●あれから10年以上が経ちましたが、今じゃ「パラサイトシングル」のなれの果て生活です。当時、「パラサイトなんかに甘んじてたら、そのうち親を介護する段になったらどうするの?」といわれ続けましたが、ひとりっ子でシングル生活ゆえに、予想通り、後期高齢者の両親を介護しながらの生活です。家庭を営んでないから、老後は孤高な生活でしょうかね。しかし、働くことを選んだ女性のひとつの生き方として、これもまた人生。日々起こるなれの果て生活と挌闘しながらも、真摯に邁進しております。
●この怒濤の時代に、どんな状況であれ、精神的、経済的にはしっかり自立しながら、シングルライフを謳歌し、しかし、まだ両親といる時間は、「甘えん坊のしっかり娘」として親を刺激してやりたいと、思っています。
●パラサイトシングルが〝流行〟したとき、前向きなシングルライフの提案者として、テレビ、ラジオにはコメンテーターとして出演、講演や各メディアの取材依頼が増えましたが、今後ともこのテーマも深めて行きたいと思っています。


【飽くなき表現を求めて!】
小さいときは歌ったり踊ったりするのが大好きで、もちろん、発表会レベルですが3歳の頃からステージに立っていました。
その表に出たい指向がなぜか、人生も半ばすぎて頭をもたげ、最近はLIVE活動を中心に
歌ったり、踊ったり、演技したりしています。
映画にもちらちらちょっと濃いめのキャラで出演しています。

主な作品履歴はポートフォリオをご覧下さい


【所属団体】
日本放送作家協会 理事長
  1994年6月に社団法人日本放送作家協会の理事に選出され、現在10期目。
  2008年6月より2年間常務理事。
  2012年6月に理事長に就任。(現在2期目)
日本脚本家連盟 連盟員
放送批評懇談会 会員
 (2008年より4年間ギャラクシー賞選奨委員(ラジオ部門)を勤める)
インタナシヨナル映画株式会社 取締役(2014・3末で退任)
東京作家大学 学長 2015年~